国語がわからない2

ちょっと油断すると1ヶ月もたってしまいましたが、ひきつづき国語の話で。

では、結局どうやって解けばいいのか、ということに関しては、石原千秋がずいぶんと著書を出しています。もはや受験国語についてはこの人抜きにしては語れないですね。比較的初期の作品が、秘伝 中学入試国語読解法 (新潮選書)ですが、これはお子さんの中学受験の顛末と、国語入試問題への対策の2本立て。中学入試の国語は道徳問題だ、というのはなかなかに鋭く、確かにもっともなことばかり。中学受験話についても、受験生をお持ちの方は読んでおいて損はないと思います。

もうちょっとわかりやすいのがこちら、中学入試国語のルール (講談社現代新書)ですが、新聞連載かなにかをまとめたもので、かなり実践的な解き方を披露してくれています。

とはいえ、これらの解き方を直接小学生の子どもに教えようとしてもなかなか難しい。ある程度本を読めて、ある程度語彙ができた上でのパズル解きなので、そのあたり、低学年のうちから鍛えることを推奨します。その上で、ある程度必勝法が出てくるわけですね。たとえば、中学入試問題で出てくる大人はほとんどいい人、とか。


国語がわからない

中学入試では国語、大学では現国になるけれども、国語という教科にはいろいろと誤解が多いように思います。
国語の試験は、国語力を見るというよりも、パズルを解くようなものではないでしょうか。国語が得意な人ほど陥りやすいわなはおおむね3つ。

小説は主人公の気持ちになりきってはだめ。

小説は、いろいろな読み方ができて、余韻のあるような小説の方が想像が膨らんでよいものです。でも、問題を作る限り、答えは1つにしなければなりません。とすると、どうしても問題の作り方は限られます。本来の小説を読むときの、想像力を膨らませた読み方では、答えが1つになるわけはありませんから、結局は枝葉末節をこちょこちょしたつまらない問題しかできません。

論説文はもともとわかりにくい。

よくできた論説文というのは、ものすごく分かりやすいものです。でも、分かりやすい論説文は、分かりやすすぎて問題になりません。誰でも簡単に分かってしまうからです。とすると、試験問題に取り上げられる文章は、やや分かりにくい、著者の独りよがりだったり、へんにこねくり回して書いていたりするものにせざるを得ないので、二流三流の文が問題文になることが多かったりします。

読まずに文字数だけ数えるような問題が多い。

国語の問題で良く見かける、○○字で抜き出しなさいというやつ。これは、○○字、と字数を指定しないと答えが1つに絞れないがための窮余の策ですから、良い問題とはいえません。長い文章の中から何字になるかを延々と数えながら当てはめる、そんなことで国語力が付くとは思えませんから、まったくもってひどいものです。

清水義範に、そういう国語の問題のばかばかしさをからかったかのような、国語入試問題必勝法という小説がありますが、入試をされる子どもを持つ親は必読でしょう。まずは国語は、ばかばかしいものだと割り切ってから、対策をスタートすべきです。とはいいながら、選択肢問題のための「長短除外の法則」「大、小、展、外、誤」は決して的外れではなく、ある意味本質を突いているので、十分勉強になりますよ。

では算数で何をすればよいのか

こうやって、数の意味とか抽象的とか定義とかいうとややこしいのですが、そういうややこしいことを考える前に、ひたすらトレーニングをやるのが一番ですよね。

昔からのドリル。公文式の基礎のところ。そろばんの特に暗算。百ます計算

百ます計算は、うちではやっていないですが、ひたすらトレーニングという意味で、たいへん良いかも、と思っています。もう一度子どもが小学生に戻ったならば最初はここからかも、と思います。

とりあえず反射的に計算ができるようにすると。話はそれからだ、というわけですね。



あまり難しいことをする必要はないので、数を楽しんで、ちょっとした補数の工夫を自分で見つけ出してできるようになればしめたものなのですが。

スコアアタックの楽しみも感じられればなお良いので、親も一緒にやるというのも良いでしょうね。

算数の難しさ

しかし、算数の難しいところは、本当は、抽象化された数というものの取扱いが、小学生だと全くなじめないという点ではないかと思います。昨日の日記は補数を使えだの検算しろとか言ってますが、果たして小学生は、数を純粋に数として取り扱うことができているのでしょうか。

最初に算数を習うときも、その後文章題で出てくるときも、りんごが5個とかみかんが8個とか、何か具体的なものと照らしあわした形で出てくることが多くて、純粋な数として扱おうとしてもなんとなく理解が中途半端になったりしてはいないかと思うのです。

たとえば、りんごが5個入った箱が5個あったら、りんごは全部で

5×5=25

という計算で25個、と計算しますが、最初の5と後ろの5は意味が違うように見えますよね。

一方では、普通の計算問題として、

5×5=

というのも出てきます。この場合、別に前と後ろの5に区別はありません。5という数の概念というのが腑におちないまま、だんだん慣れていく、ってだけなのかも知れません。

こんな調子で分数をやったところで理解できるわけはないですね。

たとえばピザを8つに分けて8分の1ってやったりしますが、1切れは1には違いないので、合計8切れ、と数えて8だと言い張ればいいじゃないかと思ってしまうともう説明のしようがないですね。1枚のピザを1と決めたのはそう約束したからであって、この"約束する"ということ自体、数学で定義しながら物事を進める手順の一つですから、算数苦手な人が理解できるわけはないですよね。


"数とは"でグーグル検索すると次のようなページが出てきました。ちょっと私も勉強してみます。

数とは何か 胡谷和彦
http://www7a.biglobe.ne.jp/~number/

数とは何だろうか 上野 健爾
http://mathsoc.jp/publication/tushin/0603/kueno6-3.pdf

補数のトレーニング

昨日の日記で、検算のトレーニングが重要と書きましたが、もうちょっと具体的に考えてみます。

足し算とか、掛け算は、わりと理解がしやすいのですが、引き算や割り算というのは直感的にやりにくい計算です。なので、間違いの確率が高く、計算後に、確かめる検算が重要です。

引き算の検算は足し算、割り算の検算は掛け算でできますから、答えを当てはめて計算する方が、間違いは少なくなりますよね。

例えば、

15−6 =

のような単純な計算があったときに、

15−6 = 8

としてしまったときでも、8+6=14 ≠ 15

とその場でやればミスの確率はずいぶん下がるわけです。

特に引き算で繰り下がりがあると、ミスの確率が上がるので、2桁以上の引き算は要注意ですね。

51−17=

111−22=

とか。

でも、引き算をいきなり普通に引き算でやろうとするから大変なので、検算をするのももちろんですが、補数を使った計算のトレーニングをしていくと、最初からミスを減らせます。たとえば次のサイトの方々もおっしゃってますが、

実は私、引き算が苦手なんで補数で計算してるんです
http://memechan.cocolog-nifty.com/talk/2009/07/post-c6d3.html

数のトレーニング(2)そろばんと補数
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-01-27

要するに補数をうまく使えばよいと。10からその数を引いた残りが補数、あるいは、何を足せば10になるかが補数、ということで、2の補数は8、3の補数は7、などなど。

最初の15−6の例だと、15から5を引くと10になるので、6から5を引いた1を10から引く、このとき、1の補数は9、というのが分かっていれば、すぐに9と判断できるというわけですね。この場合、

15−6=10+5−6=10−(6−5)=10−1=9

という計算をしていることになりますよね。繰り下がりがある引き算はほぼこれで慣れるでしょう。

先ほど例に出した、

51−17=

これも、筆算を想像してやっていると時間かかりすぎなので、暗算でやろうとするなら、50をおいといて、17−1=16、50−16=34とした方が普通はやりやすい。このときに、16に足して50になる数、として34を求めますから、50に対する補数、とでもいいましょうか。

111−22=

だと、100−(22−11)=89

ですね。

こういう丁度の数を使いながら計算を工夫するっていうのは、低学年のときに、遊びながら身に着けたいところです。とはいえ、暗算のトレーニングはいつまでたっても有用ですから、中学生でも、高校生でも遅くないと思います。コミックのドラゴン桜なんかだと、トランプを1枚ずつすばやく合計していくなんてトレーニングをしてましたよね。


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中学受験の算数で間違えたこと

しばらくは、中学受験をさせた親としての反省点をいろいろ書いて、これから中学受験される方への参考にしていただこうかと思います。

まず、算数ですが。

中学受験の算数というのは、各中学とも工夫のしどころで、ありとあらゆる問題が並んでいます。文章題はほとんどパズルとしか思えないし、中学以上の数学を学んだ後では、まあほとんどどうでもよいような問題ばかりだったりします。でも、良くできた問題は本当に良くできているし、思考力をうまく問うような、トップの学校ほど良問が多いですよね。中途半端に進学実績を上げようとしている学校は、問題の質がよいとはいえません。
あまりにヒネた問題の対策ばかりしていると、後で伸びませんから、そのあたりは、親が十分に考えて、偏差値だけでない、受験校選びをする必要があるかと思います。

子どもの受けようとした最難関と言われた学校は、問題の質をよくよくみると、非常にマニアックな問題が多く、生徒の力をきっちり測ろうとしている感じがありませんでした。いや、負け惜しみではありませんよ。
でも、受けるからにはもっと対策をすべきでした。

間違いその1

一旦志望校を決めたら、その学校の傾向を徹底的に分析して、対策を練る、というのを直前までやっていなかったことです。一応、塾にいっていましたから、その学校用コースとか、難関校対策やらはしてくれるわけですが、しかし、本当にその学校に特化した十分な対策ができているかといえば全くそうではありませんでした。

中学校が何十校あるなかで、塾の講師がそれぞれの学校に応じたプロフェッショナルな講義が必ずしもできるわけはないので、そこは親がフォローする必要があります。

間違いその2

原理の理解をさせようとしすぎたことです。数学は、実質的には現実世界と関係なく体系ができていますから、旅人だろうが時計だろうが、同じ考え方で解けるわけです。受験の算数では、例えば旅人算、時計算、流水算、と名前をわけてしまっていますから、これでは効率が悪いと思って、これは全部同じ考え方で解けるから、と、全部速さで整理できることを教えようとしたのですが、よっぽどかしこい子どもならともかく、ちょっとこれはハードルが高すぎました。
速さの概念は、結局は微分ですから、普通の子どもには同じものだと理解するのは難しいかも知れません。単位の次数を速さにあわせるように計算すればすぐできるのだ、というようなことを教えようとしたけど、無理でした。

いろいろ名前をつけて分類するのにもそれなりの理由があるのだなぁと実感しました。区分けしてパターンを覚えたほうが間違いにくいし、受験対策という点では正解ですね。

間違いその3

検算のトレーニングの手を抜いてしまったことです。塾に行く前は公文で基礎計算の練習は、そこそこがんばっていたのですが、塾へ行き始めて、しかも高学年で宿題に追われるようになると、計算の工夫や、検算のテクニックのところに十分時間を割けなくなりました。
これは、もっと低学年のときに、きっちり身に着けておくべきでした。公文はランクが上がると難しいことをやり始めますが、どうせ後でやることを先にやったところでそれはムダでした。先に進むことよりも、計算のスピードを十分に上げることや、ミスをしないことの方がはるかに重要で、そのためのトレーニングとして、暗算の練習や、検算のテクニックを十分にやるべきです。


次からは少し具体例をだしながら、説明していきたいと思います。

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再始動

中学受験をする娘のフォローをする親としていろいろ書いてみたブログですが、すっかり放置状態になってしまい、知らぬ間に中学生になってしまいました。いや、知らぬ間ということはないのですが。
結局のところ最難関といわれる学校ではなく、中堅どころの中高一貫校に入学して、まあ楽しく中学生活を送っているところですが、一方では大学受験に向けての、これまでとは比較にならない勉強が待っているわけです。

授業でピシピシしごかれつつ、テストでは全て点数が記録され、と、ますますフォローが必要な状況です。
というわけで大学受験に向けた勉強のポイントをいろいろ書きつつ、中学受験での反省点を振り返ってもみようかと思います。

またまたいつまで続くかわかりませんがよろしくお願いします。

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